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そのきっかけで有名なものは、あの奈良の大仏、東大寺です。聖武天皇が奈良東大寺を発願されかつてない大工事を展開しているとき、なんと宇佐神宮から八幡神が「大仏を見たい」とメッセージを出され、平城京にお越しになられて鎮座されたのです。鎮座された場所は手向山八幡宮として、奈良の大仏の守護神となられました。こうした現象は八世紀に大流行し「仏の教えをもっと知りたい」と神がお望みになられたので、神願寺という神を祀る寺を建て、仏教僧が神の前でお経を読み(神前読経)、さらに神宮寺では仏が神を守るなど、様々なバリエーションが生まれていきました。

以来1000年の時を経て全国に広まり、そのうち日本人は神と仏を区別しなくなりました。その結果、神社でもあり寺でもある社寺が日本中にあったのです。

人は死んだら神になり、仏は悟りを開かないとなれないのですが、今では死体を「仏さん」と言ったりします。お盆や彼岸、葬祭後の忌引きなど、習慣のなかにすっかり溶け込んだ風習はもはや専門家でないと神か仏かよく分からない状態になっています。
ですから、神社でお経を読んでも、寺で神に祈っても、相手さえ間違わなければ全く問題ないのです。
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