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吉田増蔵

吉田増蔵は、慶応2(1866)年11月23日、勝山町大字上田に吉田温次の3男として生まれた。
幼少の頃、幕末の漢学者・村上仏山の開いた私塾・水哉園(行橋市上稗田)に学び、漢詩文に抜群の才能を発揮し、明治42年、京都帝大(現在の京都大学)に入学し、支那哲学を専攻した。
その後、奈良女子高等師範学校で教べんをとり、さらに当時、宮内省図書頭を務めていた文豪森鴎外と出会い、大正9年、宮内省図書寮に勤務となる。
この時鴎外は、同省御用掛をしていた吉田増蔵の学識、蘊蓄の深さを知り驚異した。病床、鴎外は自らの膨大な蔵書を、没後どのように処理するかを考えて、長男、長女の婿、そして吉田増蔵に、と遺言したという。死後を託するのに他人である吉田増蔵に譲るとは、彼への信頼感がどれほどであったかを物語っている。
大正15年、大正天皇が崩御するや、宮内大臣から元号勧進の命を受けた彼は、「百姓昭明」「協和萬邦」の書経の1節から2字を取り、平和を願いつつ「昭和」の元号を考案した。
結局、枢密院全員審査委員会は、他に提案された4案から「昭和」を採用。こうして、新しい時代の幕明けとなったのである。
この他にも、吉田増蔵は、今上天皇「明仁」の名前をはじめ、多くの皇族の名を考案するなど天皇家と深く関わった。
その後、昭和16年12月19日、76歳の生涯を終えた。

「昭和」の元号は、64年をもって終焉したが、それは紆余曲折、激動の時代であり、吉田増蔵の一生に似て、波乱万丈であった。
今、元号の選定者は静かにこの地から時の移り変わりをじっと見つめている。

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