CityDO!
CityDO!は地域情報満載のオンライン・コミュニティです!!

d.gif
歴史・文化 観光 特産・名産 遊び 再発見
福島県 > 県中・県南エリア > 見聞録 -歴史・文化
福島県
【エリアを選ぶ】
●相双エリア
●県北エリア
●いわき・石川・東白川エリア
●県中・県南エリア
●会津エリア
破線
破線
jump1.gif
jump2.gif
jump3.gif
長い長い年月を経て育まれてきた、各地独特の歴史や風土など、あなたの知らなかった事がきっと分かるはず。
安積開拓の功労者
安積開拓の偉人
安積開拓の偉人
撮影:司馬積達さん(郡山市)
向かって左から、阿部茂兵衛・中條正恒
ファンドールンだと思います
■中條政恒(なかじょうまさつね/1831〜1900)

安積原野開拓の功労者・福島県典事。米沢藩士の長男として生まれる。
1872年(明治5年)、福島県典事として迎えられ、広大な安積の原野を知った。
1873年(明治6年)3月、大槻原(開成山)の開拓をすすめ、同年5月、開拓係として安積郡桑野村(郡山市)に着任し、郡山の有力者阿部茂兵衛らに働きかけ、同年11月に私設結社・開成社を創設させた。
開成社による安積開拓は、大槻原だけにとどまったが、中條は安積全域の開拓と安積疏水の開さくを計画し、1876年(明治9年)、大久保内務卿の来郡を機会にこれを訴え、更に上京して懇願した。
これによって1878年(明治11年)11月に政府から派遣されたオランダ人技師ファンドールンの監修のもとで設計され、政府直営による疏水開さく工事が着工されることになった。

■阿部茂兵衛(あべもへえ/1827〜1885)

開成社の中心人物。郡山の商家小野屋に生まれる。
小野屋は古くからの呉服商で、二本松藩から名字帯刀を許されるほどの家柄で、先祖からの家訓には「商人は商売以外に手を出すな」とある。
しかし茂兵衛は1873年(明治6年)、中條政恒の民間参加による開拓の説得に応じ、開拓のための結社「開成社」を結成した。
参加者は、茂兵衛を中心とした25人の商人だった。その後も茂兵衛は、開拓に全力を尽くすようになった。大槻原は、福島県と開成社がすすめた開拓によって集落が造成され、1876年(明治9年)に桑野村が誕生した。
開拓は開成山だけにとどまらず、安積野全域に広まり、さらに安積疏水の完成に尽くし、福島県庁の郡山誘致運動では身銭を切って活動した。

安積疎水土地改良区
安積疎水土地改良区
撮影:司馬積達さん(郡山市)
安積疎水全体を管理している、組合の事務所です

■ファン・ドールン(VanDoorn/1837〜1906)

安積疏水設計者。オランダのヘルデルランド州ハルに生まれる。1872年(明治5年)から1880年(明治13年)まで、日本政府に招かれて来日。土木寮長工師となり、1878年(明治11年)に猪苗代湖から安積原野一帯の調査を行い、これをもとに詳細な設計案を作成し、安積疎水実現を推進した。
ほかにも多くの工事を手がけ、近代日本の治水土木事業を確立した恩人である。
1931年(昭和6年)その功績に感謝して、猪苗代湖畔十六橋に銅像が建てられた。
この銅像にまつわるエピソードと、ドールンの生涯に取材した少年小説に鶴見正夫『かくされたオランダ人』があり、研究資料としては岡部司の『虹の詩声』が貴重。




麓山の滝
麓山の滝
撮影:司馬積達さん(郡山市)
開拓当時麓山丘陵から以東へ水を流す際、その落差を利用して作られた人口の滝です


■小林久敬(こばやしひさたか/1821〜1892)

安積疏水功労者。須賀川市中町の豪家に生まれる。天保の凶作の惨状を見聞して開墾の必要性を痛感し、猪苗代湖の湖水を安積原野や岩瀬地方に東注する構想を立てた生覚者の一人であった。
久敬は、これを実行に移そうと県や政府に陳情したが、一民間人のものとして相手にされず私財を投げ出してまでも疏水を夢見て自分なりに測量までしたといわれ、あまりにも熱心な彼の言動は、狂人扱いされるほどであった。
しかし、1882年(明治15年)安積疏水の通水に接し、「あらたのし田海にうつる月の影」という感概の句を残し、その情熱は、疏水開さくに大きな力となった。

前のページにもどる
DO!テレパル50 [企業・病院・学校・店舗情報] | DO!Present [プレゼントに応募!] | DO!Park [特集コンテンツ]
CityDO!総合TOP | サイトマップ
>>利用規約 >>プライバシー >>運営・株式会社サイネックス