CityDO!
CityDO!は地域情報満載のオンライン・コミュニティです!!

d.gif
歴史・文化 観光 特産・名産 遊び 再発見
福島県 > 県北エリア > 見聞録 -歴史・文化
福島県
【エリアを選ぶ】
●相双エリア
●県北エリア
●いわき・石川・東白川エリア
●県中・県南エリア
●会津エリア
破線
破線
jump1.gif
jump2.gif
jump3.gif
長い長い年月を経て育まれてきた、各地独特の歴史や風土など、あなたの知らなかった事がきっと分かるはず。
馬隠神社
馬隠神社
馬隠神社
馬隠神社は昔時、「御宮神」と称され、その拝殿を「長床」といい、長さ七間に及ぶ宮であった。御冷泉天皇の天喜年間(天喜元年・1053)頼時が奥州で反乱をし、また安部貞任・宗任の兄弟も朝廷の命に叛抗していた。この征討のため源頼義をして大将軍として奥州征伐に向わせた。ところが賊勢強く、官軍利あらず散々討ち破られ、頼義の兵は僅か5、6騎残るのみとなった。頼義等は必死に血路をひらき引揚げようとしたのは康平年間(康平元年・1058)のことであった。
その帰る途中にこの「御宮神」があり、頼義父子は馬から下り、宮神に戦勝祈願をした。ところで、祈願をして帰ろうとしたが馬が隠れて見えず、笹を食していたのを捜し出した。それより宮神を馬隠神社と称されるようになった。
馬隠れて笹を食したる地は今も笹生えず、ために「笹無山」と呼称されており、また馬をつなぎたる場所を「馬つなぎ」とこれみな、「往古ヨリ言伝ヘアリ」とある。また義家の弓矢のあたりし石は「当石」と名づけられた。(菅野隆治氏所蔵『馬隠神社伝記(全)』による)

前のページにもどる
DO!テレパル50 [企業・病院・学校・店舗情報] | DO!Present [プレゼントに応募!] | DO!Park [特集コンテンツ]
CityDO!総合TOP | サイトマップ
>>利用規約 >>プライバシー >>運営・株式会社サイネックス