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長い長い年月を経て育まれてきた、各地独特の歴史や風土など、あなたの知らなかった事がきっと分かるはず。
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| 馬隠神社 |
馬隠神社は昔時、「御宮神」と称され、その拝殿を「長床」といい、長さ七間に及ぶ宮であった。御冷泉天皇の天喜年間(天喜元年・1053)頼時が奥州で反乱をし、また安部貞任・宗任の兄弟も朝廷の命に叛抗していた。この征討のため源頼義をして大将軍として奥州征伐に向わせた。ところが賊勢強く、官軍利あらず散々討ち破られ、頼義の兵は僅か5、6騎残るのみとなった。頼義等は必死に血路をひらき引揚げようとしたのは康平年間(康平元年・1058)のことであった。
その帰る途中にこの「御宮神」があり、頼義父子は馬から下り、宮神に戦勝祈願をした。ところで、祈願をして帰ろうとしたが馬が隠れて見えず、笹を食していたのを捜し出した。それより宮神を馬隠神社と称されるようになった。
馬隠れて笹を食したる地は今も笹生えず、ために「笹無山」と呼称されており、また馬をつなぎたる場所を「馬つなぎ」とこれみな、「往古ヨリ言伝ヘアリ」とある。また義家の弓矢のあたりし石は「当石」と名づけられた。(菅野隆治氏所蔵『馬隠神社伝記(全)』による)
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