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日頃、見慣れた風景でも、ちょっと見方をかえてみませんか?
きっと新しい何かが見つかるかも知れません。
神流川合戦
神流川合戦太鼓
神流川合戦太鼓
神流川合戦は、織田信長の家臣であった滝川一益と小田原北条氏との総勢7万数千の大軍による壮絶な戦いでした。

関東管領として厩橋城(いまの前橋)にあり、北関東を次々に制圧していた一益は、同じく関東制圧をもくろむ北条氏の脅威となっていました。
天正10年(1582)6月、信長が本能寺で明智光秀に討たれたことを知った一益は、京に上ろうとし、それを阻止すべく進攻してきた北条氏と、この新町を舞台に激しい戦いを繰り広げました。
その合戦の大規模なこと、上州武士の勇猛さと義を重んじる態度は、戦記物などに長く語り継がれています。

新町ふるさと祭りでは、この勇壮な歴史絵巻を再現。滝川一益の出陣式や神流川合戦太鼓、各種の華やかなイベントで、昔をしのび、町の歴史をいまに伝えています。

●神流川合戦首塚

天正10年(1582)、織田信長が本能寺の変にたおれた直後、廐橋城主滝川一益は上州軍を率いて京都に上ろうとしました。これに対して小田原の北条氏直、武州鉢形城主北条氏邦の連合軍が阻止しようとし、滝川軍16,000と北条軍50,000が激突しました。戦場は現在の神流川付近が中心となったので、この戦いを「神流川合戦」と呼んでいます。
戦争は北条方の勝利におわり、滝川軍は斬首約3,760余級(豆相記)と伝えられています。「氏直、検視し此の地に埋蔵す、よって首塚の名あり(口碑)」。岡之郷にはその胴塚があります。首実見したこの地を実見塚(字名)といいます。
現在でも、10区の老人クラブが新しく石祠を建て戦国時代の悲劇の地を大切に守っています。

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