わが街イイトコ!!

府中町特集

[広島県]

府中町は、周囲を広島市に囲まれた、全国的にみても特徴ある形態をしています。そのため、広島の玄関口「広島駅から電車で約5分」と、公共交通機関でのアクセスが便利。一方、温暖な気候や豊かな自然など環境にも恵まれ「便利で暮らしやすいまち」です。また府中という名が示すように、昔安芸の国府が置かれていたところといわれ、古代安芸国の政治文化の中心地であったといわれています。

府中町のいいトコ!!

府中町で憩い・楽しむ

呉娑々宇山

府中町の北東方にそびえる海抜682.2メートルの山。山頂から県内の最高峰恐羅漢山をはじめとする芸北の峰々を遠く望むことができます。

水分峡森林公園(みくまりきょうしんりんこうえん)

府中町の北東部に位置するこの公園は、自然の渓谷を生かした緑豊かな
憩いの場です。

電話番号 環境課 ☎082-286-3244

空城山公園(そらじょうやまこうえん)

フィールドアスレチックや運動場、タコの形をした滑り台、複合遊具などで遊べます。市街地にあり、アクセスが良いのも魅力の1つです。

揚倉山健康運動公園

平成8年(1996年)10月のひろしま国体サッカー(成年男子1部)競技場となった運動公園です。
公園からは町が一望でき、ナイター設備のある多目的広場やテニスコートなどがあります。

府中町の名所・文化

下岡田遺跡

下岡田遺跡は、昭和32年(1957)城ヶ丘団地へ通じる道路工事中に大量の古瓦が発見されたことからその存在が明らかになりました。これまでの調査で、礎石と根石を残す建物跡・掘建柱の建物跡・井戸などの遺構が確認されています。
遺物には重圏文軒丸瓦・重廓文軒平瓦のほか、「高田郡・・・・」・「久良下六俵入」と墨書のある木簡、須恵器・土師器・緑釉陶器などがあり、府中町歴史民俗資料館へ展示しています。これらの遺構や遺物から、この遺跡は、古代山陽道の安芸駅家の可能性が高いと考えられています。

多家神社の宝蔵

境内にある宝蔵は、江戸時代に広島城の三の丸稲荷社の宝蔵として建立されたものです。その後、明治の多家神社再興に伴い移築されました。現在では、広島城の現存する数少ない建物で、檜皮葺の校倉造です。また、四角形に近い六角形の材を用いる様式は現存する校倉で他に例がなく、広島県重要文化財に指定されています。

多家神社(埃宮)

多家神社は、『古事記』では「多祁理宮」、『日本書紀』では「埃宮」と記述される神武天皇(初代天皇)が滞在された地と伝わっています。

松崎八幡宮跡

松崎八幡宮は、京都の石清水八幡宮の別宮として源頼朝の下文にみえています。鎌倉時代の中頃には、国衙領内で年貢を納めなくてもよい免田が町余りあり、戦国末期の毛利氏の検地では100石余りの社領が認められていました。また、別当寺として玉勝院・神前坊・神力院・法寿坊・行専坊の五か寺が属していたと伝えられるなど、中世を通じて栄えた神社です。
江戸時代には、境内のたけい社を「延喜式」に記された多家神であると主張して総社との争いが絶えず、明治7年(1874)、現在の多家神社に合祀されました。この跡地には、神武天皇が腰を掛けて休んだという岩が「神武天皇御腰掛岩」として残されています。

上岡田古墳

この古墳は横穴式石室をもち、南側に開口するが、現在は石室の奥壁に近い部分を残すのみです。これまでの調査で、金環2・鉄刀片1・須恵器の坏・平瓶・甕や土師器の椀・高坏などが出土しています。
古墳時代の終わり頃、この地方の有力農民は、丘陵上に同じような多くの古墳を造ったものと思われるが、今では数基しか残っていません。しかし、丘陵の先端部で同じ時期と推定される竪穴式住居跡が確認され、これらの古墳との関連が注目されています。

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