 |
|
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
長い長い年月を経て育まれてきた、各地独特の歴史や風土など、あなたの知らなかった事がきっと分かるはず。
|
|
 |
 |
 |
千姫の墓 (写真提供:水海道市役所) |
千姫は、江戸幕府265年の礎を定めた徳川家康を祖父とし、二代将軍秀忠を父とし慶長2年(1597年)4月11日、徳川家の伏見の第(てい)で生まれた。
戦国のならいとはいえ、わずか7歳で豊臣秀吉の子秀頼に嫁ぎ、兵馬の権の争奪をめぐって対立する生家と婚家の板ばさみとなりながら大坂城での苦しい日々を過ごした。そして、ついに豊臣家の滅亡にあたり、炎上する大坂城の糒櫓(ほしいやぐら)から救出され、江戸へと送られる。祖父の約束した坂崎直盛を嫌って本多忠刻(桑名城主、後に姫路城主)に再嫁し、そのため直盛をして武士の意地から騒動を起こさせる結果ともなった。
その忠刻ともわずか10年で死別し、この後は落飾(らくしょく)して天寿院と号し、江戸城北の丸の竹橋の屋敷でわびしい余生を送った。いかに世の定まらぬ時代とはいえ、千姫ほど世にも奇しき運命に翻弄された女性も稀(まれ)であろう。
弘経寺の千姫の墓(天樹院廟)は、本堂の左手奥にある。千姫は落飾したときより当寺を菩提寺と定めていたが、遺骸は徳川家の菩提寺である伝通院に葬られている。遺言に従って、弘経寺に遺髪を納められたとされていたが、平成9年度の保存修理により、遺骨が納められていたことが判明した。弘経寺にはこの墓のほかにも千姫の法衣、硯など遺愛の品が残されている。
|
|