わが街いいトコ!!結城市の名所・文化

結城発展史

古くから結城地方は、水運の便がよく経済的にも開けていました。鎌倉時代以降、長きにわたって城下町として大きな発展を遂げ、江戸時代には、江戸経済の大動脈・鬼怒川の要衝地として隆盛を極めました。こうした豊かな歴史を守り伝えている結城市は、今も中世城下町の原型をとどめる全国でも数少ないまちです。

結城の歴史:古代・中世

遺跡が物語る古代の暮らしと文化

古代の結城地方は、水運の便がよく経済的にも開けていたことが、市内各所に残る遺跡や古墳から知ることができます。大化の改新後、下総の国(しもふさのくに)の一部として結城郡が成立。8世紀前半には、鹿窪から上山川地区に結城廃寺(ゆうきはいじ)や峯崎遺跡(郡衙(ぐんが)推定地)が造られました。結城廃寺(法成寺:ほうじょうじ)は、古代から中世にかけて約700年間続いた大寺院で、仏教文化が東国へ伝わっていくようすをたどる重要な遺跡です。承平5年(935)には平将門の乱が勃発。結城地方も戦場となり、この地に将門伝説が残されました。

奈良時代の貴重な遺物

結城廃寺跡と、その屋根瓦を生産した結城八幡瓦窯跡(ともに国指定史跡)からは、奈良時代の貴重な遺物が数多く出土しています

<結城廃寺跡>

所在地 結城市上山川字古屋敷乙31ほか
関連サイト 結城市ホームページ-結城廃寺跡-

名門・結城家と城下町のはじまり

城下町結城の歴史は、結城朝光(ともみつ)の登場で幕を開けます。源頼朝の乳母(めのと)・寒河尼(さむかわのあま)を母に持つ朝光は、頼朝のそばに仕えて鎌倉幕府の成立を支えながら、結城に館を築いて初代当主となり、以後18代、約400年にわたる結城家の統治を盤石なものとしました。建保2年(1214)には、浄土真宗の祖・親鸞が常陸国にやってきました。朝光は、親鸞の高弟・真仏を招いて称名寺(しょうみょうじ)を開基したと伝えられています。また朝光以来、結城家では代々紬産業を保護育成し、結城紬は諸国名産の一つに数えられました。

称名寺

結城家初代・朝光が親鸞の高弟・真仏を招き開基した、浄土真宗本願寺派の寺院。親鸞の直筆といわれる「往生要集」、朝光肖像画や木像などの数々の文化財を所蔵。境内には、初代朝光から4代時広までの供養塔があります。

所在地 結城市結城152
電話番号 0296-33-3331
アクセス 東北自動車道「佐野藤岡」ICより国道50号線経由で約50分

戦国の盛衰と結城氏支配の終焉

室町時代、11代氏朝(うじとも)が起こした結城合戦(ゆうきかっせん)で結城氏は敗北し、断絶。しかし、戦国時代に再興を遂げ、幾多の合戦を乗り越えて城下町結城のさらなる発展を図ります。16代政勝は、「結城氏新法度(ゆうきししんはっと)」を制定、産業の保護と特産品の育成にも努めました。17代晴朝(はるとも)が豊臣秀吉より迎えた養子が、18代秀康(ひでやす:徳川家康の二男)です。徳川家康が天下をとると秀康は越前へ転封を命じられ、結城氏支配は終焉。このとき晴朝が、再興を願い結城家代々の財宝を隠匿したという「埋蔵金伝説」が今に語り継がれています。

弘経寺

1595年、18代秀康の長女松姫の菩提を弔うために創建された寺院。浄土宗関東十八壇林(宗派の学問所のひとつ)。

所在地 結城市結城1591

孝顕寺

結城水野家の菩提所。結城家15代政朝が開基、1515年に玉岡の地に創建され、永正寺といわれたが1599年、現在の地に18代秀康によって再建されました。結城家15代政朝肖像画、政朝夫人肖像画、17代晴朝肖像画を所蔵。

所在地 結城市結城461
電話番号 0296-34-0421(観光協会事務局)
アクセス 東北自動車道「佐野藤岡」ICより国道50号線経由で約50分

結城の歴史:近世・近代

結城城の再建と城下町のにぎわい

江戸時代にこの地を統治したのは、徳川家と縁の深い水野家(結城水野家と山川水野家)です。水野忠元(ただもと:山川水野)は、元和元年(1615)から寛永12年(1635)まで山川の地を治めました。元禄13年(1700)には水野勝長(かつなが:結城水野)が能登より入府。その3年後に結城城の再築を許され、結城は城下町としてよみがえりました。両水野家は経済政策に力を入れ、結城家の元家臣で結城十人衆と呼ばれる町方(商人)とともにまちの発展に尽力します。結城は江戸経済の大動脈である鬼怒川の要衝にあって、小森、久保田、中、上山川などの河岸がにぎわい、結城紬や農産物の集散地として隆盛を極めました。

水野越前守忠邦の墓

天保の改革で知られる水野忠邦は、山川水野氏の11代目。ここ旧万松寺には初代忠元から忠邦(県指定史跡)までの墓があり、忠邦の墓石には辞世の句が刻まれています。

所在地 結城市山川新宿
関連サイト 結城市ホームページ-水野越前守忠邦の墓-

文人墨客が育んだ文化

この頃、経済力を高めた豪商・豪農は積極的に江戸文化を取り入れました。江戸時代の俳人・画家として有名な与謝蕪村(よさぶそん)は、寛保2年(1742)に俳人・砂岡雁宕(いさおかがんとう)のもとに身を寄せ、結城に約10年間滞在。その間、近在の俳人と交遊し、結城を詠んだ俳句などを多数残しました。また蕪村は、結城を代表する学者・俳人である早見晋我(はやみしんが:号・北寿)の学識に敬服し、師と仰いだといわれています。蕪村はその後、弘経寺に移り住み、墨梅図、楼閣図、山水図などの襖絵を残しました。

蕪村の句碑

市内には蕪村の句碑が点在し、城跡公園には「ゆく春やむらさきさむる筑波山」と刻まれた句碑があります

<城跡公園>

所在地 結城市結城本町

結城市の誕生と豊かな都市づくり

明治時代、結城は養蚕の村、紬の町として歩み始めます。昭和にかけて厳しい戦時生活を乗り越え、戦後は新憲法の下で世の中が大きく変化しました。昭和29年(1954)3月、絹川村、上山川村、山川村、江川村の1町4か村が合併し、結城市が誕生。当時の結城市は、紬、桐製品、かんぴょう、皮革などの産業が盛んで、市街地には問屋が並んでいました。昭和40年代に社会基盤の整備、昭和50年代以降は市街地開発や産業の立地、平成に入ると公共施設の建設が進み、平成16年(2004)には市制施行50周年を迎えました。さらに、平成22年(2010)に結城紬がユネスコ無形文化遺産に登録され、国内外に結城市の名を広めています。今も中世城下町の原形をとどめる結城市は、豊かな歴史と文化遺産を守り伝えながら、着実に発展を遂げています。

見世蔵

江戸末期から昭和初期にかけて建てられた33棟の見世蔵が保存されている結城の街並み

所在地 結城市大字結城字大町
関連サイト 結城市ホームページ-奥順株式会社-

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