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長い長い年月を経て育まれてきた、各地独特の歴史や風土など、あなたの知らなかった事がきっと分かるはず。
盛岡城跡
三戸(青森県三戸町)に拠点をおいていた南部信直(なんぶのぶなお)は、豊臣秀吉の奥州仕置(おうしゅうしおき)により、1590年(天正18)岩手郡などの領地7郡の領有が承認されました。信直は盛岡城築城に着手し、1597年(慶長2)には鋤初(起工式)をしたと伝えられ、翌年の許可を受けて本格的な築城を開始しました。
また、新たな街づくりを行って、盛岡藩の城下町として現在の都市基盤を整備しました。この地の「不来方(こずかた)」の地名を改め、「盛岡」としたのもこの頃からです。
盛岡城は北上川と中津川の合流点の丘陵につくられた平山城です。盛岡城内は、北から勘定所、三の丸、二の丸、本丸などで構成されていました。豊臣期の大阪城の構造に似ており、築城にあたって、大きな影響を受けたことがわかります。築城当初は本丸と二の丸の石垣が築かれ、次第に三の丸などの石垣も整備されました。その後石垣修理もあり、石の積み方からその変遷を知ることが出来ます。
明治7年城内の建物は取り壊されましたが、花崗岩を積み上げた荘重な石垣がほとんど残り、史跡8.6ヘクタールを中心に岩手公園として広く親しまれています。
場所/盛岡市内丸
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