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日頃、見慣れた風景でも、ちょっと見方をかえてみませんか? きっと新しい何かが見つかるかも知れません。
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| 鉄道のまち吉松 |
旧吉松町の歴史を語るうえで、鉄道との結びつきは欠かせないものである。 明治36年9月に鹿児島−吉松間が開通し、42年には人吉−吉松間が開通、大正元年に吉松−小林間、大正5年には宮崎−吉松間が開通して、吉松駅は、鹿児島線、日豊線の分岐点となり、鉄道の要衝となった。 農林産物の集約駅、その他日用必需品の中継駅、また急行列車の停車駅として、乗降客も年間7、8万人を数えることがあった。そこで駅付近には旅館業、駅弁屋、飲食・食料品等あらゆる商売が繁盛するようになった。しかし、この期間は昭和初期までで、昭和2年、鹿児島線が出水、川内を経て鹿児島へ通じ、7年に霧島神宮駅経由日豊本線が開通するようになって、ようやく衰えが見え始めてきた。 最盛期のころの吉松の国鉄は、吉松駅・車掌区・機関区・保線区・電気区・通信区・検車区・客貨車区・鉄道診療所・購買部などに分かれて管轄されていた。職員数は昭和15〜30年で600人を数え、その80パーセントが吉松在住者であり、鉄道官舎も立ち並んでいた。家族合わせると1500人を超えていたと推定される。昭和15年当時の吉松の人口は6318人、昭和30年は8649人あったことから、国鉄関係の人たちの占める割合がいかに大きかったかが分かる。
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