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長い長い年月を経て育まれてきた、各地独特の歴史や風土など、あなたの知らなかった事がきっと分かるはず。
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横井小楠(よこいしょうなん)の思想の流れをくむ実学党による熊本県政は、明治3年に始まりました。 革新的政策を次々に打ち出すこの県政が真っ先に手がけた事業の一つが、新しい時代に即応した教育でした。 その熊本洋学校にアメリカ南北戦争で北軍に従軍したこともあるL・L・ジェーンズ大尉が教師として招かれました。 小楠の甥で、アメリカのグラマースクールに学び、病気で帰国していた横井大平があっせんの労をとったのでした。 月給400円のこの教師を支えた財源は、実学党の基盤であった農村の金持ち達であり、実学党に肩を入れていた細川護久藩知事でありました。
この教師館を含む熊本洋学校は、現在の県立第一高等学校のある古城内に、医学校と並んでありました。マンスフェルト指導の医学校からは、かの世界的細菌学者、北里柴三郎が出ています。
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