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ホントに日本には沢山、良い所があって飽きません。 それらの観光ポイントを 有名、穴場、問わず紹介します。
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第二海軍燃料廠ができたのは昭和14年。旧海軍が太平洋戦争に備えて塩浜地区の水田を買い上げたところから話は始まります。そこに完成した製油所は、原油を日産2万5000バーレル処理することが可能でした。しかし、第二海軍燃料廠はそれだけが目的ではなく、秋水という戦闘機の開発、そして秋水の燃料の貯蓄を兼ねていました。
その秋水は、同盟国であったドイツの「Me163」というロケット戦闘機の技術提供を受けて、三菱が試作局地戦闘機として完成させた物でした。時速850kmを超えるスピードで、高度1万メートルまで3分少々という性能を誇り、武装は30ミリ機銃2門を装備していました。燃料は甲液(過酸化水素、オキシキノリン)と乙液(水、メタノール、水化ヒドラジンの混合液)の2種類。これをKR10(ロケットエンジン)で化学反応させて得られた力が、上記の化け物的な数字を生んだわけです。当時はこれでB29を打ち落とす考えだったのですが、燃料がすぐ切れるため攻撃のチャンスは1〜2回しかありませんでした。その上このスピードでは照準を合わせるのも非常に難しく、ドイツのMe163の戦果も芳しいものではありませんでした。というのも、戦闘機的な機体運動をすると数分で燃料が切れるため、帰りはグライダーのように基地に帰還せざるをえませんでした。相手としては、攻撃がろくに当たらないのなら燃料切れのところを狙った方が簡単なため、帰還率は悪く戦闘機としてイマイチでした。
しかし、軍部はこれを実戦配備するため開発を急ぎました。第一回飛行実験は、大きな期待をもって見守られましたが、高度300〜500mの所でガス欠の状態に陥り墜落し、パイロットは死亡しました。これは配管設計の単純なミスからきたものでした。弐号機は陸軍が実験中に壊し、三号機の時に終戦を迎えました。軍が力を注いだのにも関らず実用化できなかったのは、燃料の過酸化水素水が手に負える代物でなかったからです。 その過酸化水素水を貯蔵していた場所は、今では頑丈にコンクリートで封鎖されており、わずかに当時の面影を残しています。
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