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長い長い年月を経て育まれてきた、各地独特の歴史や風土など、あなたの知らなかった事がきっと分かるはず。
いにしへの黄金郷涌谷と大仏
時は8世紀。涌谷周辺の地域は「小田郡」と呼ばれ、宮城県北東部の、諸郡の中心になっていました。聖武天皇が即位した神亀元年(724)は、律令政治が安定するまで多くの政治闘争が起こり、政府が積極的に東北進出を図った時期でした。アジアでは活発なシルクロード交易が日本にさまざまな物質や文化をもたらす一方、朝鮮半島の新羅が唐と結んで勢力を増長し、東アジアで各国間の緊張が高まった時代でもありました。このような国内外の政乱に応じて聖武天皇は何度か都を遷したので、人々の不安は一層高まり、加えて地震や天候不順、飢饉などの天災や天然痘の大流行などが続き、世情は大きく揺れ動いていました。
たび重なる災いに、聖武天皇は鎮護国家の思想から世の中の平和を仏に祈願し、天平15年(743)、永遠に照らし続ける光明によって人々を救うと言われる廬舎那仏建立の詔を発布したのです。この廬舎那仏が世界最大の金銅仏である「東大寺の大仏様」です。金銅仏とは、銅に鍍金して仕上げる仏像の事です。しかし大仏建立にあたって、最大の問題は鍍金用の金でした。当時、金はすべて輸入しており、大仏に鍍金する膨大な量を手に入れる見込みは全くなかったのです。金の不足で大仏の完成が危ぶまれていた天平21年(749)、陸奥国守百済王敬福が、小田郡産出の黄金(砂金)九百両(約13kg)を献上したのです。天皇は宣命を発して大いに喜び、年号を「天平」から「天平感宝」へと改めたほどです。

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