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長い長い年月を経て育まれてきた、各地独特の歴史や風土など、あなたの知らなかった事がきっと分かるはず。
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| 伊達氏の城下町 涌谷 |
かつて2万3千石の知行高を有した伊達安芸宗重の居住跡。近世の涌谷館は、天正19年(1591)亘理氏が中世涌谷館を整備、入城した時から始まります。涌谷伊達の祖、亘理元宗以降代々の居館となりました。
前には江合川、後ろには崖という天然の要害で、経済、交通の要衝の地でもありました。
涌谷伊達家4代安芸宗重は、幼君伊達綱村の後見役である伊達兵部らの違法でわがまま勝手なふるまいを正すべく、悪政を幕府に訴えて明らかにしました。これが世に言う「寛文事件」で、宗重は間もなく、これを恨む原田甲斐の凶刀によって江戸で倒れました。老中たちは、伊達安芸は武といい、忠といい無双の侍だったと深く惜しんだといいます。
見龍廟は天正19年(1591)亘理重宗が京都の妙心寺の梁岩和尚を招き、円同寺として開山しましたが、寛文11年(1671)寛文事件での伊達安芸宗重の死去により見龍寺と改称し、宗重の功績をたたえ境内を整備、寛文13年に霊屋(墓)が築かれました。墓所は、2間四方、向拝つきの総ケヤキ素木造り で、宝形造り銅板葺きの屋根とともに当時を代表する建築様式を誇り、県の重要文化財に指定されています。平石が敷き詰められた堂内には壇上に仏がんを安置し、衣冠束帯姿の宗重座像がおさめられています。堂の周囲には、涌谷伊達家、5、6代の霊廟と歴代の墓石が並び、歴史の重さを伝えています。
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