修業から独立まで
私は、中学校を卒業後、伊勢エビの買付の仕事をしていました。その会社の経営者と、のちに私が弟子入りすることとなる碁石店が自動車のエンジンを応用したサイドポンプを開発し、碁石の材料となる蛤を地中から採取するようになり、その監視をまかされるようになりました。
昭和27年に弟子入りをし、3年間の修業生活を送りました。その後、碁石の機械製造が進み、大阪の人が経営する碁石店などで先進技術を取得し、昭和42年8月に碁石の製造販売業者として独立いたしました。
長い時を経て試行錯誤を繰り返し、昭和59年3月宮崎県伝統工芸士として認定されるまでに至りました。これもひとえに多くの方々のお陰であり、言葉に尽くせぬ想いで一杯であります。
日本唯一の碁石の産地
日向で初めて碁石の製造が始められることとなったのは、大阪の碁石職人が移り住んだといわれる明治41年の頃です。以来100年の時を経るうちに、日向以外の碁石用蛤の産地は消え、その加工技術も日向だけが受け継ぐこととなりました。お倉ヶ浜の蛤も絶滅寸前となり、原料の主力はメキシコ産蛤に移りましたが、現在、黒石も含めて碁石が作られているのはここ宮崎県日向市だけです。名実ともに日本唯一の碁石の産地です。