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三宅町 特集

[奈良県]

三宅町は、霊峰金剛・葛城の山並みを望み、飛鳥川・曽我川・寺川の肥沃な流域にひらけた緑豊かな自然環境に恵まれた地域です。万葉集の相聞歌の中にも「三宅の原」「三宅道」と詠われているように万葉の時代からその名を知られた歴史のいきづく町です。

三宅町 のいいトコ!!

三宅町 で憩い・楽しむ

恋人の聖地

NPO法人地域活性化支援センターが選定する「恋人の聖地」に、万葉集に詠われた愛の花「あざさ」をシンボルにまちおこしを進める三宅町が、平成26(2014)年4月1日に選定されました。聖地名は「恋人の聖地/歴史と愛の町、屯倉(みやけ)」です。
選定2周年を記念して、「陽(ひかり)の風景」石彫モニュメント、「音の風景」ベルモニュメントが平成28年2月に完成しました。恋人の聖地巡りのカップルが県内外より来町されています。

三宅町 の名所・文化

三宅古墳群

三宅古墳群は磯城郡3町にかけて広がり、5世紀後半から6世紀前半にその最盛期を迎える古墳群です。前方後円墳を中心に現状17基で構成されていますが、既に消滅してしまった古墳も存在するため、本来はもっと多くあったと想定されます。
三宅町一帯は『記・紀』に垂仁・景行天皇期に直轄地として設置されたとされる「倭屯倉」の想定地であることから、何らかの関係性が指摘されている古墳群です。そのため、古墳時代中期以降の奈良盆地内における政治・支配体制を知る上でも重要な遺跡として注目されています。

太子道
聖徳太子の足跡を辿る道

奈良盆地中央部の三宅町屏風から田原本町保津方面へと一本の道が南南東方向へ斜行して走っている部分が今日まで残っています。この道の成立は飛鳥時代までさかのぼります。古代官道のひとつで、本来は斑鳩から飛鳥まで続いていて、聖徳太子が愛馬黒駒に乗って斑鳩宮から小墾田宮までお供の調子麿を従えて通われたという伝承から、その道を「太子道」と呼んでいます。町内の太子道沿いには、聖徳太子にまつわる伝承が多く残っており、太子の足跡を辿ることができます。また、この道路が建築時の柱の補強材の「筋違」に似ていることから、別名「筋違道」とも呼ばれています。

腰掛石(白山神社)

聖徳太子が太子道を往来され、この地で休憩された時に腰を掛けられたと伝わる石です。また同境内に、太子の愛馬黒駒の手綱を結わえられたという「駒つなぎの柳」がありましたが、現在では無くなってしまいました。

万葉歌・あざさ

万葉集に詠われたあざさの花は、5月頃から10月にかけて黄色の花を咲かせる水草です。5枚ある花弁の周りにはレース状の襞が多数あり、早朝に咲き昼頃に萎むうえ、朝の気温が20度以上にならないと見る事が難しく「幻の花」とも言われています。

忍性菩薩(にんしょうぼさつ)

鎌倉時代の高僧忍性さんは、建保5年(1217)現在の三宅町屏風に生まれました。病者・社会的弱者の救済や、道路・橋の修復などに尽力し、多大の足跡を残したことから、我が国の社会福祉事業の先駆者とも言われています。

三十八柱神社(みそやはしらじんじゃ)

かつて三十八柱神社の境内にあった真福寺には涅槃会のために寄進された涅槃図がありました。本図の裏書には永正11年(1514)2月29日と記されており、制作年度がわかるものとしては大変貴重であると言われています。(現物は奈良国立博物館に寄託されています。)

三宅町 の特産・名物

特色ある地場産業

グローブ・ミット、スパイクなどのスポーツ用品は、地域ブランドとなっており、中でも、グローブ・ミットの製造は大正時代から100年近い伝統のある産業です。

三宅町 の業種別ガイド

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三宅町 わが街事典

『わが街事典』は行政と民間による協働事業によって発行される暮らしのガイドブックです。行政情報や地域情報が豊富な便利な冊子です。

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