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長い長い年月を経て育まれてきた、各地独特の歴史や風土など、あなたの知らなかった事がきっと分かるはず。
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| 降井家書院 |
昭和27年(1952)3月29日、重要文化財指定。 降井家は、中家と共に泉州地方の豪族であったと伝えられ、同家所蔵の天保6年(1835)作成屋敷図によれば、2500余坪の敷地に台所、広間、書院、土蔵、厩など膨大な邸宅を構え、射場、馬場まで備えていました。台所、広間等は縮小したものに建て替えられ、書院も元広間に接続していたようですが、広間と切放して今の所に移されました。 その他の建物では、後に出来た表門と鎮守を残すだけです。書院は江戸時代初期の頃の建立にかかるものと認められ、その後、柱、縁廻りなど相当大きな修理を受けています。 建物は8帖の上段の間と12帖の次の間で、その三方に畳敷の入側があって、更にその外側と背面に縁側があります。この内、上段の間は最もよく残っています。上段の間は8帖で、床、棚、書院を備え、次の間との境に、彫抜欄間をはめ、内法長押、天井長押を設け、次の間は12帖で面皮柱を用い、入側との間の鴨居上の窓を竹格子とするなど、数寄屋風を多分に加味した書院造りです。 また、上段の間の床、違棚の張付絵、間仕切襖及び障子なども当初のものと認められるものです。濡縁を縁側に改めたと認められる他は、大体、当初の規模を伝えているので、江戸時代豪族の生活の一端を窺うに足りる書院造りの標本です。 なお、天保6年(1835)に作成された屋敷図は、江戸時代豪族邸宅の構えを示す一例として本書院と共に重要な資料です。
建立以来、その後の修理は明らかではありません。昭和30年(年)の屋根葺替修理の際に文政13年(1830)、明治2年(1869)、同17年(1884)、同41年(1908)の屋根葺棟札が発見されました。明治末年に主屋を改築した際に現在の位置に移動し、一部を改造しました。
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