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日頃、見慣れた風景でも、ちょっと見方をかえてみませんか? きっと新しい何かが見つかるかも知れません。
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| 岸岳城跡(北波多村徳須恵側から望む) |
南北朝時代の終わりごろの松浦党は、一揆契諾状の署名などから、少なくとも四十八家、もしくは五十二家がありました。
現在の市域は、大川野氏や波多氏、黒川氏、木須氏、伊万里氏、地北氏、福野氏、大川内氏、有田氏、吉野氏、山代氏、楠久氏などの領地でした。
明徳2年(1391年)、南北朝時代は終わりました。しかし応永5年(1398年)、大宰府の少弐貞頼と九州探題の渋川満頼は、北部九州の覇権をめぐって肥前国彦島河原で争いました。『北肥戦誌』によると、松浦党は上・下松浦で一揆して少弐氏について戦い、二百数十人の戦死者をだしています。この戦いは、松浦党にとって大損害だったと思われ、以後、数十年間、歴史上から姿を消します。
文明4年(1472年)、岸岳城(北波多村・相知町)の波多下野守泰は、壱岐を攻め、支配下におきました。海上交易権を手に入れた波多氏は、戦国時代(1477年〜1583年)に上松浦の盟主になっていきました。
下松浦でも海上交易権をもっていた平戸の松浦氏や、五島の宇久氏などが有力になりました。
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