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日頃、見慣れた風景でも、ちょっと見方をかえてみませんか?
きっと新しい何かが見つかるかも知れません。
戦国時代の上松浦
波多氏と龍造寺氏の戦いの舞台となった大川町立川(川西側から)
波多氏と龍造寺氏の戦いの舞台となった
大川町立川(川西側から)
戦国時代(1477〜1573)の下松浦で、伊万里地方を治めていたのは、伊万里城(伊万里町)の伊万里氏や唐船城(西有田町)の有田氏、飯盛城(山代町)の山代氏などでした。この下松浦で勢力をのばしたのが平戸の松浦氏です。

特に松浦興信(まつらおきのぶ)は、ポルトガル船の平戸入港を許すなど、海外交易を積極的にすすめていました。

交易で勢力をのばした興信は、天文9年(1540)、松浦総本家の内紛に乗じて、総本家を乗っ取ろうとしました。

総本家は代々、御厨執行職をうけつぎ、御厨(松浦市)に本拠地をおいていましたが、このころは相神浦(佐世保市相浦)に本拠地をうつしていました。

興信は、相神浦を攻め、総本家の松浦政を自刃させ、後室と遺児の幸松丸を捕らえました。

しかし政の遺臣たちは、幸松丸を奪い返し、唐船城にたてこもりました。そして相神浦を奪い返すことに成功しました。

興信の跡をついだ隆信は、永禄6年(1563)から3年間、相神浦を攻め、ついに相神浦松浦氏を家臣にし、下松浦の覇者となりました。
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