CityDO!
CityDO!は地域情報満載のオンライン・コミュニティです!!

d.gif
歴史・文化 観光 特産・名産 遊び 再発見
佐賀県 > 唐津・伊万里・松浦エリア > 見聞録 -再発見
佐賀県
【エリアを選ぶ】
●唐津・伊万里・松浦エリア
●神埼・三養基エリア
●佐賀エリア
●小城・杵島・藤津エリア
破線
破線
jump1.gif
jump2.gif
jump3.gif
日頃、見慣れた風景でも、ちょっと見方をかえてみませんか?
きっと新しい何かが見つかるかも知れません。
下松浦の松浦党
山代氏と龍造寺氏との戦いが行われた山代町城地区
山代氏と龍造寺氏との戦いが行われた
山代町城地区
下松浦の覇者となった平戸の松浦隆信は、永禄12年(1569年)には、上松浦の波多氏の内紛に乗じて壱岐を領土に加えるなどして、戦国大名に成長していきました。

その隆信の子、鎮信もすぐれた武将でした。佐賀の戦国大名、龍造寺隆信が下松浦に侵攻すると、唐船城(西有田町)の有田盛は降伏し、伊万里城(伊万里町)の伊万里治と飯盛城(山代町)の山代貞(虎王丸)は、激しい抵抗の末敗れてしまいました。龍造寺氏によって伊万里氏は山内町、山代氏は北方町にそれぞれ移されます。しかし、鎮信は唐船城以外は領土を守りました。

また、天正15年(1587年)、豊臣秀吉が九州に出兵したときには、救援に水軍を派遣して秀吉から賞されています。

文禄・慶長の役(1592〜1598年)でも、勇戦が認められ、さらに関ヶ原の戦い(1600年)でも徳川方につき、所領を安堵されました。
松浦党は、平安時代の末から約500年以上も活躍した一族ですが、ついに平戸松浦氏だけが近世大名として残ったのです。
前のページにもどる
DO!テレパル50 [企業・病院・学校・店舗情報] | DO!Present [プレゼントに応募!] | DO!Park [特集コンテンツ]
CityDO!総合TOP | サイトマップ
>>利用規約 >>プライバシー >>運営・株式会社サイネックス