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日頃、見慣れた風景でも、ちょっと見方をかえてみませんか? きっと新しい何かが見つかるかも知れません。
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山代氏と龍造寺氏との戦いが行われた
山代町城地区 |
下松浦の覇者となった平戸の松浦隆信は、永禄12年(1569年)には、上松浦の波多氏の内紛に乗じて壱岐を領土に加えるなどして、戦国大名に成長していきました。
その隆信の子、鎮信もすぐれた武将でした。佐賀の戦国大名、龍造寺隆信が下松浦に侵攻すると、唐船城(西有田町)の有田盛は降伏し、伊万里城(伊万里町)の伊万里治と飯盛城(山代町)の山代貞(虎王丸)は、激しい抵抗の末敗れてしまいました。龍造寺氏によって伊万里氏は山内町、山代氏は北方町にそれぞれ移されます。しかし、鎮信は唐船城以外は領土を守りました。
また、天正15年(1587年)、豊臣秀吉が九州に出兵したときには、救援に水軍を派遣して秀吉から賞されています。
文禄・慶長の役(1592〜1598年)でも、勇戦が認められ、さらに関ヶ原の戦い(1600年)でも徳川方につき、所領を安堵されました。 松浦党は、平安時代の末から約500年以上も活躍した一族ですが、ついに平戸松浦氏だけが近世大名として残ったのです。
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