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日頃、見慣れた風景でも、ちょっと見方をかえてみませんか? きっと新しい何かが見つかるかも知れません。
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| 女性医師の母 生沢クノ |
生沢クノは、元治元年(1864)に武蔵国榛沢郡深谷宿(現在の深谷市仲町)に生まれた、日本で2番目の女医です。男性のみに許された医師資格を女性でも取得できるよう請願し、女性医師への門戸を開放させた人物です。 クノの父・良安は、当時では珍しい蘭医であり、深谷で開業していました。クノが女医を志しても、良安は女医になることの困難さを知っていたため、はじめは反対したといいます。しかし、最後には、クノの固い決意に動かされ、勉学のための上京を許しました。 クノは上京後、九段の止敬塾、芝の東京府病院の見習生などを経たのち、神田の私立東亜医学校に特別に入学し、本格的に医学を学びます。しかし、学校は女人禁制のため、クノは断髪男装のうえ、別室で修学するという苦学を強いられました。 明治16年に東京府に医学試験請願書を提出します。しかし、女性に前例のないことを理由に却下されてしまいます。翌年、埼玉県令(現在の知事)宛てに請願書を出しますが、これも却下されてしまいます。 しかし、クノたちの働きかけにより明治17年には制度が改正されます。 クノは、不幸にも過労のため、最初の試験は見送らざるを得ませんでしたが、その後、明治18年に前期試験、翌19年に後期試験に合格し、日本で第2番目の女医の資格を得て、翌年医籍に登録されました。 医師となったクノは、深谷や寄居など埼玉県近隣各地で、女性と地方の医療に尽くす生涯を送ります。各地での草の根医療に携わったのち、深谷に戻り、昭和20年に静かに息を引き取りました。
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