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日頃、見慣れた風景でも、ちょっと見方をかえてみませんか? きっと新しい何かが見つかるかも知れません。
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| 寿能城跡 |
産業道路を川口方面から上尾方面に向かい、国際興業バスターミナルを200m北進すると高台になる。その台地を右折し200mほど進むと見沼代用水西縁水路に達する。出丸橋の手前を左折し桜の老木が点在する素朴なあぜ道をすすむと右手に見沼田んぼに突き出した岬が望まれる。そこが、大宮にあったお城「寿能城」の出丸である。
先端には松が一本目印のようにあり、周囲をめぐらす堀が当時の様子を伝える。右手に出丸を眺めながら100mほど進み住宅街への道を左折すると、左手に寿能公園がある。そここそが寿能城跡なのだ。
城域は東西約80m、南北約400mで、三方が見沼に面した平山城。物見やぐらであった付近に、城主潮田出羽守資忠の墓碑が建っている。
永禄3年(1560年)岩槻城主太田三楽資正の第四子資忠が、母方の姓を名乗り、大宮・浦和・木崎・領家を領し、岩槻城備えの城として築いた。天正18年(1590年)秀吉の小田原攻めに出陣した資忠・資勝父子は討ち死にし、家臣北沢宮内らが守備していた寿能城も6月に豊臣勢によって落城。戦時中まで雑木林、高射砲隊が駐屯していたが、戦後整地されて住宅街となった。
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