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長い長い年月を経て育まれてきた、各地独特の歴史や風土など、あなたの知らなかった事がきっと分かるはず。
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○那須拾遺
鎌倉時代の初期、およそ760年前の話。
那須森田(今の大里)に住んでいた牧野左衛門勝重が、群馬県の伊香保温泉に湯治に行ったある日、相模国の利根大膳信俊という人と出会い、話をしているうちに、遊女のことから口論となり、2人は刀を抜いて切り合いになってしまいました。
勝重の郎党2人が主人を助けて奮闘したため、大膳信俊は逃げだし、ひそかに小柴垣のかげから矢を射って勝重を殺してしまいました。
殺された勝重には、次郎丸と小次郎という2人の子供がいました。その2人が成長して、放下僧に身をやつして諸国を旅し、父の仇を探して歩きました。そしてついに武州金沢村瀬戸の三島明神の境内で、仇の信俊にめぐり会い、めでたく父の仇を討つことができました。
仇討ち後、兄弟はその首級を那須の郷里に持ち帰り、父の墓前に供えて弔ったとの事です。
親孝行な兄弟の話は、当時の烏山城の那須之隆という殿さまの耳にも入り、この2人を大いにたたえ、兄の次郎丸に烏山に領地を与え、牧野家を再興させたという事です。
○写本那須系図説
戦国時代天正のころ、烏山城主那須資胤の子、牧野左衛門顕高が箱根温泉で信俊という侍と争い、殺されてしまいました。
その子が放下僧に身をやつして諸国を旅し、伊豆三島で父の仇を討ったという説もあります。
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