わが街イイトコ!!

西東京市特集

[東京都]

西東京市は、武蔵野台地のほぼ中央に位置しています。
北は埼玉県新座市、南は武蔵野市および小金井市、東は練馬区、西は小平市および東久留米市に接しています。
地勢は、北に白子川、中央部に新川(白子川支流)、南部に石神井川があり、川の沿岸が2メートルから3メートルの低地となっているほか、一般には西から東になだらかに傾斜したほぼ平坦な地域です。
地質は、植物の育成に適している関東ローム層で、厚さ10メートル以上の所が多くなっています。

西東京市のいいトコ!!

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田無市民公園

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西原自然公園

多摩湖自転車歩行者道

西東京いこいの森公園

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南関東最大級の国史跡 下野谷遺跡

下野谷遺跡は、今から5~4千年前の縄文時代の人々が暮らした跡が残る遺跡です。南関東最大級の縄文時代中期の集落として、2015年3月10日に国史跡に指定されました。
大都会東京の中心の一つである新宿から電車でわずか30分足らずの西東京市東伏見。その足元には太古のロマンが眠っています。
下野谷遺跡は、約13万4千平方メートルもの広さ(東京ドーム約3個分)を持つ大遺跡です。都市部は開発が進み、多くの遺跡が消滅してしまう中、このような大遺跡が残されていることは本当にまれなことです。航空写真をみると、密集した住宅の中に、都会のオアシスのように緑の地域が見えます。現在、ほんの一部ですが調査され、400軒を超える住居のあとや膨大な数の土器や石器が見つかっています。

水に恵まれた集落

下野谷遺跡の標高は50~60メートルで、周囲は湧水の多い環境にあります。遺跡の北側には石神井川が流れており、広い低地が広がっています。この低地は、今は早稲田大学のグラウンドになっていますが、昭和初期には葦が繁り、蛍舞う湿地でした。「したのやムラ」は、こうした豊かな水に恵まれた日当たりのよい高台の森を切り拓いてつくられたムラだったのです。

地域の拠点となっていた集落の構造

下野谷遺跡の集落は、縄文時代中期の典型的な集落構造を持っています。
遺跡を発掘すると、床を掘りくぼめて作った円形の「竪穴住居跡」が、環状に分布しているのがわかります。中には、床を掘りくぼめることなく柱だけで建てられた方形の「掘立柱建物跡」と呼ばれる建物跡も数軒あります。このような集落は、墓のある広場を囲み建物跡がドーナツ形に分布することから「環状集落」と呼ばれています。
さらに下野谷遺跡はこのような環状集落が東西に隣接して2つ見つかっており「双環状集落」と呼ばれる特殊な構造を持っています。こうした複数の大集落が隣接する構造は、地域の拠点となる集落の特徴であることが分かっています。

土器と石器

下野谷遺跡からは膨大な数の土器や石器が発見されています。
勝坂式土器は、縄文土器の中でも複雑でダイナミックな形態や模様が特徴です。日本を代表する芸術家岡本太郎は、こうした縄文時代中期の土器を見て、原始美術の素晴らしさに目覚めました。それに続く加曽利E式土器は、胴部がやや膨らむ形と口縁部の渦巻きなどの模様が特徴です。
石器は、土掘具と考えられる打製の石斧が特に多く出土しています。また、木を切る斧としての磨製石斧、堅果類を磨り潰す道具である磨石、石皿のほか、縄文時代の大発明の一つである弓矢につける矢じりも数多く出土しており、ムラの周囲に広がる森の動植物の資源を上手に活用していたことが分かります。

下野谷遺跡公園・縄文の森の秋まつり

平成19年、遺跡の保護を目的として、遺跡の一部を地下に保存した下野谷遺跡公園が開園しました。発見された住居を3分の2の大きさで復元した家の骨組みの模型や、地層のパネルなどがあり、縄文人が好んだクリやクルミの木が植えられたのどかな公園です。縄文人がムラとして選んだ立地や景観を感じることができます。
公園は毎年秋に行っている「縄文の森の秋まつり」などを通し、縄文時代のことや、遺跡の大切さを学ぶことのできる場所にもなっています。

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