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長い長い年月を経て育まれてきた、各地独特の歴史や風土など、あなたの知らなかった事がきっと分かるはず。
南方熊楠のデスマスク

世界的な博物学者、南方熊楠は和歌山市の金物商の次男として、慶応3年(1867)に生まれる。
幼いころから人並みはずれて賢く、記憶力も素晴らしかったといわれ、4歳位のころ隣家からもらった植物の本を、たいそう喜んで見て大切にしたといわれる。

生まれつきの優れた才能は小学校時代も目立ち、父はその才能を伸ばす為、当時の商人の家としては珍しく、開設されたばかりの和歌山中学(現、桐蔭高校)に入学させた。
10歳頃から蔵書家を訪ねて書物を見せてもらい、当時の大百科事典「和漢三才図絵」や「本草綱目」などを記憶して家に帰り筆写したという。「和漢三才図会」105冊にいたっては、何年もかかって図まで書き入れて完成したというから驚きだ。

1883年(明治16)3月、和歌山中学を卒業して17歳で上京し、神田の共立学校で勉強したときには、彼にかなう先生はなく、1日で作った天文の論文が科学紙『ネイチャー』で1位を取得。19カ国語がペラペラという超天才。
翌年大学予備門(後の旧制第一高等学校)を受験して合格。同期生には、正岡子規、夏目漱石、山田美妙(びみょう)らがいた。しかし、アメリカのカーチスという植物学者が菌類(キノコ・カビなどの類)を6000点集めたと聞き、それ以上の標本を採集しょうとするなど、学業には精を出さず、学年末試験に失敗したこともあって、1886年(明治19)2月帰郷、アメリカに渡って勉強したいと父に申し出ました。当初は反対していた父も、その熱意に負け渡米を許したそうです。

その後、イギリスの大英博物館で考古学や人類学を研究し、帰国後は、植物の宝庫といわれる田辺市で粘菌の研究に励み、「ミナカテラ・ロンギフィラ」など70種もの新種を発見しました。
昭和4年には、紀南地方を訪問された天皇陛下に粘菌の標本を手渡し、昭和37年に再び来られた天皇陛下が熊楠を偲んで詠まれました。
「雨にけふる 神島をみて 紀伊の国の 生みし南方 熊楠を見ふ」

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