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江戸時代の税金は「年貢米」という米で納められていました。時代は既に、モノを買うときには金や銀の大判小判を使っていた時代。大名は年貢米をお金に換えるため、市場で米を売らなければいけません。豊臣氏滅亡とともに意気消沈した大坂の活性化のために、米市場が大坂に置かれたのは2代将軍秀忠の頃。以後、全国の年貢米が大坂に集まり、取引されていきます。
各藩で刈り取られた年貢米は、日本を周回する樽廻船(たるかいせん)と呼ばれる船で大坂に運ばれます。大坂ではこの米に対し、競争入札〜オークション方式で販売されます。秋や冬には米がたくさん入荷するので米の値段も安いのですが、春や夏には米がないので米価は高くなります。そこで、秋や冬に大量の資金をはたいて米を買い占めて春や夏に売って利ざやを稼ぐ仲買人が活躍します。このときの取引は銀で行われます。
ところで大坂では銀が通貨でしたが、江戸商人のメイン通貨は金でした。現代風に言うなら大阪の通貨が円、東京の通貨がドルという感じでしょうか。江戸の商人が大坂で米を買うには、まず両替商で金を銀に交換します。金銀の交換レートは、今の円相場のように幕府の経済政策や江戸の景気を見ながら、日々の取引額で上下します。米は季節の商売ですから、仲買人たちがと米の流通量を判断して値段をつけていきます。そのうち米の予約手形まで発行されて、現物の米がまだ届いてもいないのに手形だけで取引が済むようになります。だんだん話がややこしくなって来ましたが、米・銀・金の取引がちょうど今の金融市場のように投機的なものになっていくのです。
こうして米や商品、大判小判は大坂で取引され、また船に乗せられて全国へ散っていきます。天候不順で船が沈めば、せっかくの取引も損害になってしまいます。船の後ろから追い風が吹くことを「まとも」と言いますが、天下の台所水都大坂では商道徳の戒めの言葉に転じて、きちんと真正面から向かい合うことを指すようになりました。頃は元禄、天下泰平の時代です。
元禄時代といえば、日本の金の産出量がピークを迎えた時代でした。日本中で産出された金が幕府によって江戸で貨幣に変わり、金貨は次に米を求めて大坂に集まるのです。こうして大坂は前代未聞の好景気。大金持ちになった商人は、余暇を使って芝居や文学を楽しみました。庶民の庶民による元禄文化の始まりです。
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