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兵隊の士気
 2004年は国際コメ年です。この米にとって記念すべき今年は日露戦争の100周年でもあります。
 日本が欧米列強に肩を並べる先進国デビューを果たした日露戦争は、厳寒の地の満州での陸戦と日本海での海戦で決着しました。歴史上、黄色人種が初めて白色人種に大勝利した戦いでもあります。

 特に陸軍の戦いは苦戦を強いられ、戦死者は5万人を数えました。10年前の日清戦争の50倍です。零下数十度の満州の凍土に倒れた死者、旅順攻略戦の突撃による死者も多くを数えましたが、病死者も3万人を数えました。原因はお米です。

 この頃、これまでの玄米に変わり精米が高級食材として庶民の人気を集めていました。精米は玄米に比べてビタミンB1が不足するのですが、この精米の普及と副食の不足が極端なビタミンB1の欠乏によって心不全と末梢神経障害をきたす脚気(かっけ)の流行を生みます。大正時代には国民病とまで呼ばれたこの病気、日露戦争当時はまだ、原因が良く分かっていなかったのです。

 海軍では麦飯の食用で脚気の予防ができることを発見し、早々に脚気が撲滅されました。ところが、当時の日本陸軍は徴兵令で国民から集められた兵、多くは貧しい農家の次男や三男です。陸軍では国家のために命がけの兵たちを思い、粗食である麦飯を避け銀シャリと呼ばれて人気の精米を強硬に採用し続けました。

 結果として、25万人の患者と3万人の死亡者を出すに至ったのです。

 当時の陸軍医の責任者は、小説家でも有名な森鴎外。鴎外はドイツ医学を学んでいたため、脚気が伝染病であるという学説に固執し、異国で戦う兵を気遣ったつもりだったのです。
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