そうめん特集 そうめん特集 >>人とそうめんの細く長いつながり 
日本の夏の風物詩-そうめん特集

国の命令でそうめんを??【奈良時代】

 いやいや、最初から言い過ぎました(笑)。そうめんを食べろ、などという命令は出ていません。

 正確には「麦を栽培せよ」という命令でした。この頃は律令時代。天下公民(国民)全員が米作りに励み、税金も米で納めていた時代。政府は税収アップを目的に、とてつもない目標を掲げて新田開発を命令するほど、米、米、米の時代。なのに突如として「麦を栽培せよ」との政府命令、それも天皇の勅令という最高レベルの命令が、なんと200年間に7度も出ているのです。

 理由は「かんばつ」。稲作は水がないと成り立ちません。日照りが続き水が不足すると、米が取れずに国中が飢えてしまう。畑で育つ麦ならば少々の水不足でも育つということで、飢餓対策として出された国の命令なんです。命令は懇切丁寧なもので、地方の役人は麦を栽培してない農民に注意を与えよ、とか、牧草が枯れて馬が食べる草がないからといって、実ってない麦を馬に食べさせるな、とか、それはもう事細かに命令が出ております。

 そうめんの起源が、飢えに苦しむ民衆を助けるためのアイデアだったという奈良時代の伝説を裏づけるような、「続日本紀」という歴史書に残る天皇の命令でした。

平安宮廷料理人【平安時代】

 千年の都、京都。絢爛豪華な平安王朝絵巻の裏側に、王朝貴族の「食」を支える料理人たちがいました。名づけて大膳司(ダイゼンシ)。皇族や宮中儀礼に料理を提供するお役所です。もちろん役所というからには立派な政府機関で、今で言う○○省○○局のようなもの、所属する料理人も官位のある立派な貴族や政府職員なのでした。

 実は、この役所でそうめんが大活躍しています。もっとも当時は「索餅(さくべい)」と呼ばれていましたが。天皇が即位するときの大嘗祭に索餅、正月に寺で行われる法会へのお供えに索餅、季節ごとの法会へのお供えにも索餅、節句のお供えにもetcetc...。そして、どの場合にどれだけ索餅を作って納めるか、を事細かに書いた法律まであるといいますから、古代人の生活もなかなか面白いです。その法律の名前は「延喜式」。905年に編纂が始まって、926年に完成したという力作の法律です。

 実は、この法律、当時のそうめんである索餅の材料が細かく記されていて、当時は小麦粉に米の粉を混ぜていたなんてことも分かるのです。ところが製法が微妙に分からない(笑)。食べ方も微妙に分からない(笑)。1000年も前の文書なので仕方ないのですが、いや、逆に考えると、1000年前の宮廷料理のレシピの断片が残っていること自体、とても面白いことだとも言えます。

蛇に化けるそうめん【平安時代】

 中国から伝わってきたそうめん~~平安時代当時にはまだ「麦縄(ムギナワ)」や「索餅(サクベイ)」と呼ばれていましたが~~。同じく中国から伝わってきた仏教でお供え物や精進料理として、そうめんがよく使われました。

 そんな訳で、仏罰を恐れず、酒に女にと遊び放題だったあるお坊さんの元にも、麦縄がたくさんお供えされます。お坊さんはたくさんの麦縄を友達や寺の関係者に振る舞いますが、余った麦縄を翌年用にと、こっそり小箱に入れて保存してしまったのであります。禁欲が大事な修行であるお坊さんなのに、なんとも食意地の張ったお話です。さて、翌年の夏、去年とっておいた麦縄でも食べようか、とお坊さんが小箱を開いたところ、なんと小箱の中の麦縄は蛇に化けていたそうな。以上、今昔物語が伝えるお話であります。

 神道の世界では、神の使いであったり神様自身だったりする「蛇」ですが、仏教では執念深い生き物とされています。執念が深くなればなるほど成仏できませんから、仏は罰を与える時に人を蛇に変えたりします。これは日本の仏教説話の世界ではよくあるパターンです。

 そんな訳で先の今昔物語のお話も、お坊さんの普段の素行の悪さのために麦縄が仏罰で蛇に変わったのだと説明されています。もっとも、麦縄も細長いから見間違いじゃないのか、なんてことも書かれててたりするのですが。

そうめんからたこやきへ【室町時代】

 さてさて。索餅や麦縄と呼ばれていた「そうめん」の原型たちに画期的な技術進歩が訪れるのが、この鎌倉・室町時代のこと。禅宗の留学僧が中国から「油を使って麺を細長くする技術」を持ち帰ったのです。え?仏教の勉強をしないで食い物の勉強してどうするんだ、って?まぁまぁ。仏教僧の当時の留学先は「宋」。当時の宋は、活版印刷術・羅針盤・火薬の三大発明を、西洋のルネサンスに先んじること200年も前に実現しちゃった、とてつもない科学技術先進国だったのです。宋に留学した僧は、当時の日本でも代表的な秀才ばかりですし、宋から来日した僧は、文明国からやってきた文明人。彼らは、肥料を使った新しい農業を農民に教えたり、茶を広めたりと、最先端の文明の知識を教えながら布教して行くのです。禅僧が最新の調理技術で麺を細くしていったのも、そんな輸入技術の一つだったのでしょうか。

 細長くなったそうめんは、禅寺でお茶の茶菓子として出される点心へ発展していきます。最初はうどんの先祖なのか、そうめんの先祖なのか、小麦粉で作ったお餅なのか、よく分からなかった「原・そうめん」も、この頃になるとようやく「後のそうめん」「後のうどん」らしい区別が着いてきます。細くする方法は手延べだったり断裁だったり、湯がいたり焼いたりといろいろですが。茶席の賓客をもてなす一品として、調理方法に工夫がこらされていきます。そのうちのひとつに索餅を平べったくして焼いた「麩のもの」が現れます。麩のものは茶席で有名となったため、江戸時代に茶道が全国的に広まると同時に普及していきました。「麩のもの」は、のちにたこ焼きやお好み焼きに発展します

 たこ焼き、お好み焼き、そうめん、うどん。この四つの小麦粉料理は、なんとルーツが同じ兄弟関係なのでした。
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