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9月9日は重陽の節句を過ぎても真夏日が続くとなると、衣替えなどまだまだ早く、季節感覚が旧暦のままの和服儀礼なんかに合わせてたら熱射病で倒れそうな勢い。雲一つない快晴の空に、少しばかり遠くなってしまった太陽を眺めながら、夏物の麻の着物に袖を通しつつ、今年はあと何回、麻の着物で外出するんだろうか、などと感慨にふけってみる。
少し気温も下がってくると、夏場の疲れがどっと出てくると世間様はおっしゃるが。酷暑、猛暑と言われる夏真っ盛りよりも、やれ台風だ、快晴だ、秋雨だ、残暑だ、などなど気候めまぐるしく変わる初秋の方が身体の負担は大きい気もする。幸いにして食欲も回復し、栄養については心配のない今日この頃ではあるのだが、どうもその食欲が仇となり、ついつい勢い食べ過ぎて、胃もたれ・胸やけ・膨満感に悩まされてしまうのもまた、秋の入り口の恒例行事。昼食には胃腸に優しい「そうめん」が丁度いいとは思いつつも、しっかり食感を味わって食欲を満たしてやらねば、いくらでも流し込めてしまいそうになるのも「そうめん」のニクいところ。ここは歯ごたえとコシのシッカリしたそうめんを食べないと、咽喉越しつるつるのそうめんでは、また食べすぎで胃もたれしてしまう。
コシのある麺を求めて手にしたのは、三河は和泉の産のそうめん。長い。程よい長さに切り揃えた他地方産のそうめんに比べて和泉のそうめんは、まるで干してあった長さそのままに納品されてるような錯覚を覚える。そして、そうめんと言えば通常乾麺−干して乾燥させた麺なのだが、和泉の名物は「半生めん」である。調べれば、わざと夏場の湿り気のある海からの風に当てて、乾麺を半生に仕上げるそうである。名づけて「半生もどし」。太平洋の黒潮の風に吹かれたそうめんは、地域の気候を利用した先人の工夫がぎっしりと詰まっている。
和泉のめんは割と太め、少しばかりダシを辛いめに仕上げて、食べる。まるでうどんを食べているかのような錯覚にさえ襲われるコシのある麺は、咽喉越しも良く、噛む・飲み込む、という食事の基本動作の一つ一つを味わせてくれる。飲み込むばかりが麺類ではない。噛むことだって賞味には大事な要素だ。もちろん、和泉そうめんはあくまでそうめん。「うどんのような」は他ブランドに比べてのたとえ。少し塩味のする、食べやすさも確かにそうめん、コシの強さを考えると麺の細さは神業と言える。これは隠れた名産品、郷土料理通にはたまらない食感。そんな訳で、毎年私はこの麺を食べる。
贈り物に頂いた時には注意が必要。他地方のそうめんは2〜3年日持ちする。その間に製麺の際の油がうまく蒸発して、一年毎に美味しくなる。昔の人は「古物「ひねもの」」と呼んで、高級な品もうまく寝かしてより美味しく食べるのだが、しかし、和泉そうめんは「半生」である。新鮮であればあるほど良い。今、手元に和泉そうめんがある方、急いで食べましょう。生ものの食品の美味は、駆け足で逃げてゆくものです。
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