 |
|
 |



 |
 |
こうしてそうめん好きを自称していると、幸いなことにそうめんが向こうから集まってくる。知人や親戚のご好意によるもので感謝の次第である。幸せものである。
食欲の秋を楽しんで山海の恵みに舌鼓を打つ毎日。野菜に果物に魚にと、美味しい旬のものがたくさんあり、ついつい夏の食べ物であるそうめんに手が伸びない。それが普通である。私以外は。この涼しい気候で冷やしそうめんを食べて敢えて涼を取ろうという奇特な人間もなかなかいないだろう。私以外は。とはいえ、何日もそうめんから離れていると、却って恋しくなる素麺三昧の風流を楽しんできた諸人もいるかと思い、この稿を上梓する。
秋の夜長は読書に限る。そして読書は、日頃読むのにためらうような長編小説−でも有名どころで知らないと損をする類の作品−を、寝床で楽しむのが極楽。なぜ寝床で。いつでも眠れるように、だ(笑)。そんな失礼なモティベーションで読み始めた読書も、毎日続けていると楽しみになってくる。楽しみになってくると、夜更かしもザラになってきて体力が欲しくなってくる。
そこでそうめんの登場だ。
風呂を沸かしながら麺を湯がく。そうめんの王道と言える味を誇る「揖保の糸」。頂き物ではあるが、贈ってもらって一番安心できるブランドである。何といってもこの揖保の糸だけは、麺を縛る帯についている等級に全く偽りがない。黒帯はいつ食べても黒帯。赤帯はいつ食べても赤帯だ。考えてもみて欲しい。機械工業ではなく、手作業で大量に作られているのに、品質が全く変わらないのだ。これは職人とそれを支えるスタッフの揖保の素麺への情熱が作りだした「当たり前」なのである。贈り物にするには、ハズレのない優等生ブランドと言えるかも知れない。
お風呂上り。綿の浴衣を羽織って、きゅっと帯を締め、程よく冷えたそうめんを頂く。つゆは粉末ダシから採ったシンプルなものを薄めに作っておく。麺をさっとつけてつるつると流し込む。噛まない。流し込む。風呂上りの汗がそうめんに冷やされて、ダシとそうめんのアッサリ味が、銭湯で飲む清涼飲料水のように心地いい。一食分食べ終わった後は、ぐっとつゆを一気飲み。飲むものか?などと野暮なことを聞かない。冷えた液体を身体に流し込むことに価値があるんだから。その後、熱いお茶を入れてしばらく感慨に耽り、汗が引くと同時に寝床に入り、坐った姿勢で本を読み始める。腹ごしらえも完璧。学生時代に何度もチャレンジして挫折した、長編文学と対峙するには揖保の糸を腹に入れるぐらいの覚悟が必要なのである。
|
 |
 |
 |
 |
|