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そうめんの歴史

2.昔は宮廷食だった!

奈良時代に伝わったそうめんではあるが、当時はまだ油を使わって「より」をかけて麺を延ばす工程がなかったため、細長い今の麺の姿とは違って縄状であったらしい。そうめんの先祖である縄状の【索餅】の他にも、うどんのルーツとなる団子状の【こんとん】や、ほうとうのルーツとなる【はくたく】など唐菓子と総称されるものが記録されている。

平安時代は醍醐天皇の頃、宮中の儀式や作法を集大成した法典「延喜式」が制定(927年)されたとき、旧暦七月七日の七夕の節句にそうめん【索餅】をお供物(おそなえもの)とするよう定められた。
なぜ七夕の節句の供物がそうめんなのかについては、七夕伝説からそうめんを天の川に見立てたと言う説、いや、機織の糸だという説、夏に栄養価の高いそうめんを食べて健康増進をはかったと言う説、小麦の収穫を神に報告するためだとする説などが百家争鳴状態である。ともあれ、そうめんは既に千年も前に、宮中行事には欠かせない食物であったのだ。
この故事にちなんで、全国乾麺協同組合連合会では、昭和58年、七月七日を「乾めんの日」と定めた。

もちろん七夕以外の行事でも、神社由来の食物として縁起の良いものであったので、お供物や引出物として、保存食として、貴族の間で広く用いられた。
余談だが、延喜式には当時の索餅の調理法も記録されていて、原料は小麦だけでなく米も混ぜていた、などという驚きの記述が残っている。
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