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そうめんの歴史

4.複数あったそうめんのルーツ

前章までで、素麺の簡単な歴史は追うことができた。各地の名物素麺は、都の素麺が時代を追って順に地方に伝わったものである。おわり。

…しかし地方色豊かな食文化のこと、そんなに安易に語れるものではない。CityDO!は日本史の教科書ではなく地域情報サイトである。多様な「地域名産そうめん」のルーツを語らない訳にはいかない。

長崎は五島列島。後期遣唐使の玄関口であり、鎌倉時代には多くの中国人が亡命してきた大陸文化の入り口である。うどんは生の切り麺、素麺は乾燥した手延べ麺、と述べたが、麺の製法が伝わった衝撃のためか、ここでは素麺もうどんも油を塗って伸ばしてつくる。

室町時代には、五島列島から石川県輪島に日本海経由で麺の製法が伝わり、油を使わない手延べ素麺、[輪島素麺]が誕生、江戸時代には加賀前田藩御用達の名物となった。この輪島独特の製法は、富山の[氷見のうどん]や[大門素麺]へと伝播、日本海は北前船を通じて秋田に渡り[稲庭そうめん]となる。また、さらに山を越えて宮城県に入ると、[白石温麺]もこの輪島-稲庭ラインをルーツにもつ麺である。
しかしながら、この輪島素麺はもはや幻のものとなり、情報によると石川県には製麺業者が一軒もない。


かわって伝承の地、三輪。全国の小麦の産地から、農家が弟子入りして[三輪素麺]の製法を学んだ。なかでも瀬戸内の[小豆島]では、豊臣時代に三輪素麺の製法が伝わると、油や塩の産地でもある当地の事情も手伝って良質の麺を産出するようになった。江戸時代には、小豆島島民が長崎の島原半島へ移住した際、そうめんの製法も伝わり、こうして意外なルートで素麺の製法が九州に帰っていくのである。

江戸時代は、日本中の商品が一度大阪に集められ、そこから全国に分配される経済構造だったため、大阪に近い神戸の灘では大阪向けの素麺作りが大いにが栄えた。[灘のそうめん]は、その生産技術の高さで全国一を誇っており、その合理的な製法は[播州揖保乃糸]や[伊勢大矢知素麺]などに継承されていく。
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