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麩のものは江戸時代に庶民の間で大流行します。東京の「桜餅」はこの麩をヒントに生まれたとか。さらに時代は下って明治時代になると、軟らかい小麦粉がアメリカから輸入されて来ました。俗に言うメリケン粉です。
明治後期、このメリケン粉を水で延ばし、桜エビや野菜などの具材を入れて鉄板で焼いて食べる菓子が生まれます。かの有名な「もんじゃ焼き」です。東京では、駄菓子屋の片隅にある鉄板の上で焼きながら食べていたという「もんじゃ焼き」は、持ち帰り用に水の配分を少なくして固めに焼き上げた「どんどん焼き」に姿を変えて、屋台の売り子が叩く太鼓の「どんどん」という音も賑やかに全国に普及していきました。
関西にやって来た「どんどん焼き」は、大正時代には「一銭洋食」という“安くて美味い”に弱い関西人をくすぐる名前で呼ばれ、ハイカラにソースなどを塗って食べられるようになりました。
この一銭洋食は水っぽい生地を鉄板で焼くので、どうしても平らに広がってしまいます。戦後、ここからお好み焼きが誕生しますが、それはそれと致しましょう。
さて、生地を窪みのある鉄板に流し込んで焼けば、ひと口サイズに焼けることを発見した人がいます。小さな球形にまとまったその形から名づけて「ちょぼ焼き」。駄菓子屋や屋台で、手軽に焼けるちょぼ焼きは、再び子供のおやつとして大阪でブームとなります。この「ちょぼ焼き」が「たこ焼き」の原型であると言われています。
鉄板と球形をクリアして、残る「たこ焼きの条件」は、アト2つです。
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