大阪たこ焼き特集 大阪たこ焼き特集TOP >> [コラム3] 屋台で、駄菓子屋で
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たこ焼き進化論 屋台で、駄菓子屋で

麩のものは江戸時代に庶民の間で大流行します。東京の「桜餅」はこの麩をヒントに生まれたとか。さらに時代は下って明治時代になると、軟らかい小麦粉がアメリカから輸入されて来ました。俗に言うメリケン粉です。

明治後期、このメリケン粉を水で延ばし、桜エビや野菜などの具材を入れて鉄板で焼いて食べる菓子が生まれます。かの有名な「もんじゃ焼き」です。東京では、駄菓子屋の片隅にある鉄板の上で焼きながら食べていたという「もんじゃ焼き」は、持ち帰り用に水の配分を少なくして固めに焼き上げた「どんどん焼き」に姿を変えて、屋台の売り子が叩く太鼓の「どんどん」という音も賑やかに全国に普及していきました。

関西にやって来た「どんどん焼き」は、大正時代にはハイカラにソースなどを塗って食べられるようになり、そのソースのイメージから「一銭洋食」という”安くて美味い”に弱い関西人をくすぐる名前で呼ばれました。ちょうどウスターソースやカレーライスが普及し始めたころのお話です。原料が香辛料であるソースの原料である香辛料は、漢方薬でもあったために、当時のソースは薬局でも取り扱っていたそう。ちょっと高級な感じがしますね。

では、当時の一銭は現代の貨幣価値でいくらぐらいか。いろいろな計算の仕方がありますが、だいたい100円ぐらいと考えてよさそうです。100円でちょっと食べられるハイカラな小麦粉の軽食、という感じでしょうか。

この一銭洋食は水っぽい生地を鉄板で焼くので、どうしても平らに広がってしまいます。戦後、ここから「お好み焼き」が誕生しますが、一銭洋食は西日本一帯に広がり、東日本ではあまり見られなかったようです。

さて、「たこ焼きの条件」が4つ出揃い、あと3つの条件で「たこ焼き誕生」となるのですが、実は、この大正時代に、既に「たこ焼き」と呼ばれる食べ物が存在していたのです。さて、その正体は?!

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