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「ちょぼ焼き」は大阪の食文化のなかで進化します。何より大阪はダシと薄口醤油が売りの食い倒れの街。「ちょぼ焼き」も、表面にソースを塗らずに生地自体に味つけしてみたら美味いのではないか、と。こうして誕生したのが「ラジオ焼き」です。
小麦粉を醤油を下味にしたダシで溶かして、こんにゃくやネギなどを入れ、当時最先端のメディアの名を冠した「ラジオ焼き」は、子供たちのおやつとして大人気でした。ラジオがエンタツアチャコ全盛期の漫才を流していた、昭和初期の話です。
ここに会津屋の初代店長という一人の英雄が現れます。昭和10年のある日、大阪は住吉の会津屋で、スジ肉入りのラジオ焼きを食べていた明石の客がこう言いました。「ココは肉かいな。明石ではタコ入れて食べてるで」と。
もし初代店長が、この台詞を聞き流してしまっていたら、あるいは明石焼の店に鞍替えしていたら、今のたこ焼きはなかったかも知れません。しかし英雄は敢然と立ち上がります。タコに合うラジオ焼きの生地の研究に。こうして「明石のタコ」と「ころも」に味をつけて焼いた大阪の「たこ焼き」が生まれました。
同じ昭和10年にはプロ野球チーム【阪神タイガース】が誕生しています。かの有名な道頓堀のグリコの看板が設置されたのも同じ年。さらに、心斎橋そごうの開店も、地下鉄難波駅の開通も、ついでに当時大阪帝大講師であった湯川秀樹のノーベル賞論文となる「中間子理論」の発表も、すべてこの年。こうなると、たこ焼きは正に大阪名物となる宿命の下に誕生したといっても過言ではない! …ような気がします。
で、凄く素朴な疑問ですが、なぜタコがそんなにウケたのでしょうか。その秘密を追うには、やはりあの一言に戻らねばなりません。「明石ではタコ入れて食べてるで」
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