大阪たこ焼き特集 大阪たこ焼き特集TOP >> [コラム4] 「たこ焼き」の前の「たこ焼き」
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たこ焼き進化論 「たこ焼き」の前の「たこ焼き」

江戸時代末期、卵の白身を硝石で固めた明石玉というべっ甲やサンゴの代用品が発明され、女性のカンザシなどに利用されました。染料で色づけした硝石に、卵の白身を混ぜて温めて固めると、独特の光沢が加わって、ファッショングッズになるのです。

この明石玉は、その名の通り、兵庫県は明石で盛んに作られ、海外にも輸出されていました。

ところで、この明石玉の卵の白身を丸く固める工程のために、熱が伝わりやすく、すばやく白身を固めるのに適した銅や真鍮の板に、丸いくぼみが作られました。このコロコロと丸いくぼみがたくさんできた板が、なんと、あの「たこ焼き器」の直接の先祖となります。工業製品の鋳型が調理器具に変貌するのです。

明石玉の製造工程では、卵の白身だけを取り出すため、黄身がたくさん余ります。余った黄身をちょっと小麦粉なんかをいれてダシで溶かし、くぼんだ板に流し込んで、タコを入れて、軽く温めると、卵の黄身でできた「たこ焼きのようなもの」が出来上がります。これを明石の人は「玉子焼き」と呼びます。

この玉子焼き、大正時代にはダシに漬けて食べる現在のスタイルが完成。専門の屋台営業も始まって、その美味しさが近隣に知られてきます。近隣の人々は、「玉子焼き」を「たこ焼き」あるいは「明石焼」と呼びました。幸いにして?「明石焼」の名前で全国に知られて現在に至りますが、もし、「たこ焼き」の名で知られていたら、我々の知る現在の「たこ焼き」はこの世に存在せず、「明石焼」が「たこ焼き」は明石焼を指す名前だった、かも知れません。

さて。明石で呼ばれる「玉子焼き」ですが、「卵焼き」とは書かないそう。いわゆる「たまごやき」と混乱しないようになのか、とも考えましたが、江戸時代末には、炒り卵やゆで卵はあっても、今の厚焼き卵や出汁巻卵の形をした「たまごやき」は、まだ存在してないとの情報をキャッチ。真偽は未だ調査中ですが、もしかすると、現在の「出汁巻卵」のルーツも、「明石焼」だったりするのかも、知れません。

あ、たこ焼き進化論でしたね。次はきちんと進化させましょう。

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