兵庫県明石市。明石港は瀬戸内でよく獲れる鯛の漁港で有名です。最近明石大橋が架かった明石海峡は、わずか3.5kmの狭い幅をぬって瀬戸内海の海流が大阪湾に注ぎ込む潮の早い海。この明石の早い潮流を元気に泳ぐ明石蛸は、その激しい運動量から身がギュっと引き締まり、豊富なエサにも恵まれて、コリコリとした歯触りが美味な名物タコなのであります。
今は高級品ですが、かつては漁獲量の多さから明石の魚市場「魚の棚」では、名物として売られるだけでなく毎日の食卓をも飾る、とても身近なタコでした。
さて、江戸末期。卵の白身を硝石で固めた明石玉というべっ甲の代用品が発明され、大正時代まで大いに作られました。この明石玉作りのとき、余った卵の黄身を軽く焼いて、戯れにタコを包んでできた料理が「明石焼」です。大正時代にはダシに漬けて食べる今の明石焼スタイルが完成。現在に至ります。つまり明石焼は、たこ焼きより早く誕生しているのです。
かくして、明石の名物がヒントになり大阪のたこ焼きが誕生した訳ですが、ちなみにこの明石焼、現地では「玉子焼き」と呼びます。「明石焼」の名は芦屋のご婦人による命名だとか。阪神地域では、たこ焼きも明石焼も「どっちもタコ入りや」ということで、まとめて「たこ焼き」と呼んでしまうこともあるそう。ちょっとややこしいですね。
そもそも関西は、明石や和歌山などタコの一大産地であったことが、たこ焼きがヒットした遠因ではないかとの調査結果もあります。
明石焼の発祥には、主婦が卵焼きの具材に困った挙句…という説も根強く残っていますが、江戸時代末には、炒り卵やゆで卵はあっても、今の厚焼き卵や出汁巻卵の形をした「卵焼き」はまだ存在してないとの情報をキャッチ。では、もしかしてあの卵焼きのルーツも明石焼かも知れない?! …継続調査中です。
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