大阪たこ焼き特集 大阪たこ焼き特集TOP >> [コラム6] たこ焼き誕生の瞬間
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たこ焼き進化論 たこ焼き誕生の瞬間

昭和初期、平野川分水路の水運を生かし、町工場と歓楽街が同居していた今里新地。ここに福島県は会津坂下町出身の遠藤留吉氏という一人の英雄が、ラヂオ焼きの屋台をオープンします。その名も「会津屋」。

町工場と歓楽街、客層は子供ではなく大人です。遠藤氏は大人の口に合う「ラヂオ焼き」の工夫にとりかかります。会津には、お祝いごとに出される「小づゆ」と呼ばれる、醤油と日本酒で薄くダシを取り、山菜をたくさん入れた郷土料理があります。遠藤氏は、この小づゆのエッセンスを、一口サイズの小宇宙の中に閉じ込めようと考えます。

小麦粉を水で溶かすときに醤油を下味にして、ネギやこんにゃくや牛すじ肉などを入れ、当時最先端のメディアの名を冠した「ラヂオ焼き」は、子供たちのおやつを超えて、大人も楽しめる軽食となりました。大阪のラヂオがエンタツアチャコ全盛期の漫才を流していた、昭和初期の話です。

さて、そうした創意工夫のつづく昭和10年のある日、会津屋で、スジ肉入りのラヂオ焼きを食べていた明石の客がこう言いました。「ココは肉かいな。明石ではタコ入れて食べてるで」と。

もし遠藤氏が、この台詞を聞き流してしまっていたら、あるいは明石焼の店に鞍替えしていたら、今のたこ焼きはなかったかも知れません。しかし英雄は敢然と立ち上がります。タコにも合う新しい「ラヂオ焼き」の研究に。こうして「明石のタコ」と「ころも」に味をつけて焼いた大阪の「たこ焼き」が生まれました。

同じ昭和10年にはプロ野球チーム【阪神タイガース】が誕生しています。かの有名な道頓堀のグリコの看板が設置されたのも同じ年。さらに、心斎橋そごうの開店も、地下鉄難波駅の開通も、当時大阪帝大講師であった湯川秀樹の、ノーベル賞論文となる「中間子理論」の発表も、ついでに旧会津藩士で大正時代の大阪市長であった池上四郎の銅像が天王寺公園に建ったのも、全てこの年。こうなると、会津屋のたこ焼きは正に大阪名物となる宿命の下に誕生したといっても過言ではない! …ような気がします。

で、凄く素朴な疑問ですが、なぜタコがそんなにウケたのでしょうか。その秘密を追うには、やはりあの一言に戻らねばなりません。「明石ではタコ入れて食べてるで」

(取材協力:「株式会社会津屋」)

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